ピノキオの寓意 #100期

昨日のことです。100期生の方の職業人生をレポートしていただいて、その内容を吟味していたときに、何故か童話の“ピノキオ”を思い出しまして。

同じ日に、Facebookで個人的にフォローしている方がピノキオをネタに記事を書いておられたことからの着想なのでしょう。不思議とそんなシンクロってありますよね。

童話や寓話には、寓意(ぐうい)と言って、その話が意図している知恵や教訓を含んでいるものです。

ピノキオの物語は、職業人生そのものを表現してはないか?とふと思ったのでした。

■ピノキオのストーリー
 ① 子供が欲しかったゼペット爺さんがピノキオを彫る。
 ② 妖精が命を与え、●●を獲得すれば人間の子供にしてあげると約束する。
 ③ ゼペット爺さんの援助で学校や社会に出るが、悪い方に適応していく。
 ④ ●●など忘れて欲望のままに生き、他人の欲望に飲みこまれていく。
 ⑤ そんな自分や環境に限界がきて逃亡する。
 ⑥ 助けに来てくれたゼペット爺さんと逃亡先で偶然に再会する。
 ⑦ ゼペット爺さんを自分の命と引き換えに窮地から救う。
 ⑧ ⑦によって人間らしい●●を獲得したピノキオは人間の子供になる。
 ⑨ めでたしめでたし・・・

多少の齟齬はありそうですが💦 、きっとこんな感じだったと思います。

私たちは、生まれた時代の生まれた社会にどこか持ち場を得て、能力発揮や能力開発を行っていきます。

技能・技術・知識・知恵などを“スキルセット”として、多種多様な●●観を“マインドセット”として獲得していきます。

“職業経験”を通じて“技術的成長”と“人間的成長”を経て、“自己実現”を果たしていくわけです。これは本来、私たちにDNAレベルで刻まれた“物語”なのでしょう。

私自身はそのようなレベルには全く達しておらず道半ばですが、 多くの職業訓練生とご一緒させていただくうちに、これは“普遍の真理”ではないか?と考えるようになりました。

しかし現実には、社会に適応していく過程で副作用的に“エゴ”が育ってしまい、その声や社会の喧騒にかき消されて、本来の目的を忘れてしまうのだと思います。

ピノキオは欲望にめっぽう弱く、ストーリー③~⑤あたりゼペット爺さんの厚意を無駄にして裏切り続けます。そのクズっぷりに憤りつつも、何処か親近感がわいてきます。

物語では、ピノキオはうそをつくと鼻が伸びる設定になっていますが、本来の使命から自らを偽って安逸に流されていくことを戒めているようにも思います。

色々な葛藤の末に、本来の自分の意志に気づく成長機会があって、自分を超えて献身的に他人を助ける境地があることは、多くの成功者が証明してくれています。

能力発揮も能力開発も、自分サイズを超えないといけない時期が来るのでしょう。
自分中心に世界が回る地動説から自然本来の天動説へとパラダイムシフトするのです。
その先にある自己実現なら、 自分の人生も他人の人生も豊かにするものでしょうね。

私たちは職業人生の中で、こうした修養の機会を得ているのかも知れませんね。

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